夏山合宿の主力となるのは2年生である。私が2年生の時、クラブの部長である3年生が夏山合宿の候補地として、飯豊山を提案した。当時の母校では山岳部の男子部の夏山合宿は北アルプス、女子部は南アルプスへ登るのが恒例となっていた。部長からその名前を聞くまで、私は飯豊山を知らなかった。部長の説明やガイドブックを見て、その女性的でたおやかな峰に魅了されていった。槍ヶ岳や剱岳のような「尖がった山」ではなく、なだらかな優しい稜線を持つ山のほうを好ましく思うのは、そのときからのことである。
合宿地が飯豊山に決まり、私は渉外と食糧の担当になった。渉外では、何か知りたいことがあり米坂線小国駅に電話したところ、駅員さんの言葉の訛りが強くて、ほとんど理解できなかったという思い出がある。問題は食糧だった。部員が少ないため、極力軽くしなければならなかった。重い米を減らしてパン(フランスパンのバケット)や乾燥麺を増やしたら、献立を点検した顧問の先生から「これじゃ腹が減って歩けない」と言われてしまう。献立を考え、材料の重さを量り、たとえ1グラムでも減らせないかと格闘する毎日だった。当時大豆蛋白から作られた人造肉が量産されるようになり、即席麺の具に使われだしていた(カップ麺の発売はまだで、その翌年です)。この「人造肉」を食材として購入できないものかと、真剣に考えたほどである。フリーズドライの技術による美味しい乾燥食品や食材が、普段でも山でも利用できる今からは考えられない苦労であった。
夏休みのある日、私たちは出発した。電車が北に向かうに従い黒い雨雲が垂れ込めてきて、いやな気分になったことを覚えている。
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1993年の10月末から夫との山歩きを始めたので、登山の趣味は12年も続いている。これだけ長い間登山を続けていても、私たちの登山レベルはそれほど向上していない。山岳会や山のサークルなどに入っていないこともその一因だが、そもそもトレーニングに励み、体力と技術が要求される山を目指そうという向上心に欠けている。