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2009年06月30日

『劔岳 点の記』映画と原作と地図と(2)

『劔岳 点の記』映画と原作と地図と(1)」の続きです。
※Yahoo! JAPAN Web APIで関連地図を作成しました。別ファイルでアップロードしてあります。以下のリンクは別タブ(or 別ウィンドウ)で開きます。
『劔岳 点の記』関連地図 地図表示ページ

当時の測量という仕事
映画はストーリーを追い映像を堪能するためか、測量隊の「仕事」がよく見えてこなかった。描き切れていなかったとも言える。原作を読むと、当時の彼らの「仕事」が想像を絶するような過酷なものであることがわかる。まず測量のために山に登るといっても、ほとんどは“道なき道”を行くものである。春未だ浅き残雪期から始めたのも、その方がヤブが雪に覆われていて楽だからだ。

三角点を設営する山なり場所に登って、それで「お終い」ではない。同じ山、同じ場所に何度も登らねばならない。原作中に4月山に入る前に柴崎が人夫達に仕事の段取りを説明する場面があり、その科白からわかりやすくまとめると

【第一段階】事前調査:前年度の下見がこれに当る
【第二段階】撰点のための地形偵察
【第三段階】撰点:三角点を置く場所を選ぶ
【第四段階】造標:三角点に「覘標」=観測用の楼(やぐら)を建て、埋石(三角点の標石を埋める)をする
【最終段階】経緯儀を使っての観測

柴崎曰く『以上の五つの段階をひとつひとつ詰めて行き、仕事を終わるのが十月半ば…』。

山案内人が知っている山仕事のための道や猟師道を行くこともあるだろうが、多くは人跡未踏の場所に分け入って観測に適する眺めが得られるポイントを探しながら、登ったり下りたりの日々である。当時の粗末なテントで寝起きし、米飯と山菜や野草の味噌汁、味噌と梅干し、良くて塩サケ程度の食事で。休養と仕事の整理のため、時々基地である立山温泉に戻るが、映画と際だって違うのは、立山温泉での冷遇である。

劔岳登頂成功のあとも、8月・9月と測量隊は淡々黙々と「第四段階」「最終段階」の仕事をこなして、そして立山に初雪が降る直前の10月半ば、ようやく大山村に戻っている。

今日は人工衛星による探査など測量の科学・技術は格段の進歩があるが、彼らの辛苦の末の命がけの仕事で完成した「地図」がその礎になっていることは間違いない。そうやって作られた地図を私たちは日常で当たり前のように利用し、迷わないで登山することができたり、webでのオンライン地図を眺めて楽しんだり更には「表現」として活用することもできるのだ。

映画は時間という制約があり難しいが、もう少し彼らの過酷な仕事、その献身的な働きに踏み込んでいれば、劔岳登頂成功のクライマックスの感動が大きかったかもしれない。


測量隊の劔岳登頂は7月13日か?
劔岳山頂付近の地図
劔岳山頂付近の地図
映画公式サイトに拠れば、木村監督、撮影クルー及び俳優陣は劔岳に「7月13日」に登頂している。木村監督の誕生日であり、柴崎測量隊が登頂に成功したその日でもあるからだ。

ところが、柴崎測量官達が劔岳に明治40年の何月何日に登ったという公式記録は、何ひとつないそうだ。彼らが劔岳に設営したのは公式の測量記録であるところの「点の記」を作成しない、「四等三角点」だったからだ。三等三角点以上の覘標用に使用する丸太など資材を、人力で運び上げることなど到底無理だったためである。劔岳“初”登頂の唯一の記録は、彼らの業績を報じた当時の富山日報(映画においても富山日報「牛山記者」の取材シーンがある)の記事のみだそうだ。ゆえに映画に於いても「7月13日登頂」とされているようだ。

ちなみに、原作の劔岳登頂の章のなかで、新田次郎は自ら調べた天気図を根拠に「7月12日登頂説」を唱えている。その上で日本山岳会会員や柴崎自身が書き残したものを挙げて、7月27日に第二次の劔岳登頂があり、このとき柴崎が劔岳に登ったと書いている。

つまり初登頂メンバーのなかに柴崎はいない。彼は長次カの『地形偵察が済んでから測量官が撰点をするのが今までの例。劔岳だからといって特別なことはできません。いや、劔岳からこそ慎重にしなければ…』という進言を受け入れてベースキャンプに残った。劔岳“初”登頂をしたのは、長次カ、生田、鶴次郎、金作の4人である。彼らが登頂したのは梅雨の最中の晴れ間の一日で、柴崎自身は梅雨が明けるまで待たされて劔岳山頂を踏んでいる。


日本山岳会との関係
劔御前小舎から見る劔岳
劔御前小舎から見る劔岳
映画のラストでは、柴崎は計測器越しに覘いた頂きに後日登頂した小島烏水ら日本山岳会メンバーを認め、彼らと手旗信号で交歓する。いかにも映画的な…(以下省略)であるが、この場面も原作にはない。前年の下見の折と測量隊第一次の劔岳登頂の朝、柴崎測量隊と山岳会パーティは劔沢で居合わせているが、日本山岳会が劔岳登頂に成功したのは柴崎らから遅れて2年後であった。また小島烏水が柴崎と同時期に立山にいた事実もない。劔岳に挑戦したのは日本山岳会の新潟支部メンバーたちだった。

ただし小島烏水は柴崎に登頂を祝う電報を送っていて、柴崎は命令を下した陸軍本部が初登頂ではないことで冷淡だったのに比べて、『競争相手だった山岳会が、実は劔岳登頂の意味を最もよく理解する味方であった』と涙する。

劔沢で敗北を潔く認め、『もう十年も二十年も前からの友人のように気軽に口を利いてあっさり引き上げていった山岳会の男たち』に、柴崎は『劔沢に沿って吹き通っている風のようにさわやか』だと感じて好感を持つ。柴崎自身、後年山岳会に入会している。


原作がある映画でも表現としては別の作品なので、比較自体は意味がない。ただ私は「地図」が好きなので、映画では「地図」や測量という「仕事」が美しい自然の映像や山岳会との競争のエピソードの陰に隠れがちだったのが残念だった。で、自分自身の覚え書きとしてこれをまとめた。

新田次郎著『劔岳 点の記』第三章 測量旗 から
 測量官柴崎芳太郎が書き残した、「越中國三等三角點之記」は現在国土地理院に永久保存資料として残されている。彼が明治40年の春から秋にかけて設定した三等三角点は、現在の五万分の一の地図「立山」に全部入っている。云いかえれば、五万分の一の地図「立山」の原本を彼が作ったようなものである。実際には彼が設定した三等三角点網を足場として、地形科による地形測量が行われ、更にその資料は製図科に廻されて、ようやく地図が作製されたのである。
その地図を、現代の私たちも利用している。だから彼らの「仕事」を忘れてはならない。


タグ:map 映画 登山

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posted by Masako at 18:13 | Comment(9) | TrackBack(0) | 映画・演劇・TV番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Masakoさんって、本当に素晴らしい方ですね…ため息です。
映画を単に観て良かった! 良かった!(余りよくない!)で終わるのが普通です。
ここまで原作、映画、人物等を掘り下げて語っていただくと、傍から記事を読んだ私など原作も一気に辿れるので、とてもありがとう♪という感じです。

新田次郎の息子、藤原正彦氏に木村大作監督が映画化申し入れの手紙を書いた返事に「木村さんは原作をちゃんと読んでいる。ですから原作をいかように変えてくださっても結構です。すべてお任せします。」と返事があったとの紹介があります。
やはり原作とは多少違うんですね〜。

この映画だけでなく、原作と内容が違ってがっかりするのが、往々にありますね
なんて…生意気な事を私は言えない!
あまり本も読んでもいないし、映画も最近やっと観るようになった所ですし^^;

本にしても、映画にしても後味が良かった〜で、良い作品になる節がありますね(^_^)

私は地図を見るのが大好きです。この映画を観ていて分からない地名が随所にあったのですが、Masakoさんの記事で納得出来てうれしく思います。


Posted by mame at 2009年06月30日 23:25
mameさん、おはようございます。
ダメですよ、持ち上げすぎです。
朝から身の置き所がないじゃないですか(笑)

映画をご覧になったのですね(^^)
私は山岳映画、山岳小説はホントはそれほど関心がなくて観ない、読まないのです。
しかし「点の記」は測量の話だし、あの黒沢映画でも有名な木村カメラマンが監督をするというので、映画が公開するずっと前から少し期待してサイトを覗いていたんです。
で、ちょっと期待はずれの部分があったので、原作を読みました。
かつて「孤高の人」は投げ出したけど、「点の記」は一気読みしました。

映画と原作(小説)は別物の作品として考えていますが
両方鑑賞すると理解が深まるのは確かですね。
あと、地図に対する思い入れを語っているだけで
映画そのもののレビューにはなっていませんが
こんな感想記事があっても良いよね(笑)
何事も掘り下げるのが好きなタチなもので…好きな「山」と「地図」のことなら尚更(笑)
Posted by Masako at 2009年07月01日 07:20
うんうん。記事面白かった〜!!

映画見る前に、これ読んで
見たら、また地図とにらめっこしながら
読みたいと思います〜〜!

映画館に地図、持って行ったら、、、ひんしゅくですね(笑)
Posted by いく@しずおか at 2009年07月01日 10:12
いくちゃんはこれから観るのですね。
記事がネタバレっぽくてすみません(笑)

映画のなかに登場する猟師がクマを撃った後、
雪渓を「棒ずり」つまりグリセードで滑り降りるシーンがあるんだけど
これ、「神業」ですよ。見逃さないようにね。

地図を持って行っても、劇場は真っ暗です(笑)
Posted by Masako at 2009年07月01日 14:24
見てきましたよー!
帰ってきて、すぐに地図探しました(笑)

改めて記事を読ませていただくと
へ〜〜〜、原作とこう違うんだ〜〜と
いろんな事、改めてわかりました。
原作、読みたくなりました。

お恥ずかしながら香川照之さんって、
実は全然知らなくて、
日頃映画もドラマもあまり見ない物ですから。。。
でも、あの山を登る格好はとても地に足が
ついていて、最初から、山ノボラーのようでした。

棒ずり かっこよかった〜〜〜。
紅葉もとても綺麗でしたー。
まだ場所がわからない地名があるので
これは、原作読んで、さらにネットで
地形図見なくちゃな〜〜〜
Posted by いく@しずおか at 2009年07月01日 15:13
おお、観てきましたか。話題を共有できて幸せ(^^)
香川照之さんは演技力に定評があって
二世俳優さんのなかではダントツだと思います。
ちなみに父親が市川猿之助さん、母親は浜木綿子さんで
東大を卒業してから役者になった人。
山ノボラーさんじゃないので、歩き方の演技指導があったのかもしれませんが
役作りに凝る人なので自分で研究したのかも。

私たち山ノボラーは歩き方にまで演技チェックが入っちゃうのよね(笑)

仙人池の紅葉と八峰の景色はため息ものでしたね。
Posted by Masako at 2009年07月01日 17:21
またまた続けちゃう。

明治時代の登山って、どんなだったのでしょうね。
地図を広げても、
「どこから、、、どう登ったのかなあ。。。」
とそればかり考えてしまいます。
今の登山道でない所、登ってたのかな。
立山温泉って、どこにあったのでしょうかー。

香川照之は二世さんなんだ〜〜知らなかった。
なんか、これから注目しちゃうなあー。
そういえば、宮崎あおいの奥さん姿、、ちょっと違和感が。。。
監督が、宮崎あおいが好きだっただけじゃないの〜?なんて思ったりして(笑)

私は、あまり山に行けなくなったけど
やっぱり山が好きなんだな〜って
改めて思いましたよ。
Posted by いく@しずおか at 2009年07月01日 22:58
ども。話が弾みますね。
原作によると柴崎30歳の時に結婚、奥さん18歳なので
宮崎あおいさん、イメージ的には良かったんじゃないかと思います。
でも確かに監督が好きだったみたいですよ(笑)

この映画、キャスティングに文句もあるけど
そもそも人物描写には期待していなかったので…。
調子に乗って言わせてもらえば、私が思うあの映画の最大欠点は音楽でした。
監督の好みらしいけど、ビバルディとかバッハとか
重すぎ&大袈裟すぎちゃって、しかも生収録その上有名曲なので
なまじに聴かせてしまって完全に映画を食ってたと思いました。
あのバックグラウンドミュージックが良いと言う人もいらっしゃるので
本文ではけなさなかったけど(笑)
Posted by Masako at 2009年07月01日 23:17
香川照之さんは、撮影支援にあたった山岳ガイドの多賀谷治さんの歩き方や話し方を役作りに取り入れたそうです。

香川さんは歌舞伎俳優を父に、宝塚歌劇団の元トップ娘役を母に持ち、舞台人の血を引く謙虚で礼儀正しい俳優さん。
噂では共演者やスタッフへの気配りを忘れないとか。
秋から冬にかけては宝塚OGと共演した映画が相次いで公開されるので、今から楽しみです。
Posted by ひょうたん at 2009年09月28日 19:09
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