新着記事
2009年06月29日

『劔岳 点の記』映画と原作と地図と(1)

『劔岳 点の記』ダウンロード画像先週映画『劔岳 点の記』を観てきた。大御所カメラマンが監督・撮影した、CGや空撮映像も使わず全て「実写」の映像はたいへん素晴らしかった。
←クリックで拡大

しかし内容的には少しもの足りない感じがした。そこで原作『劔岳 点の記』新田次郎 - 剣岳―点の記 (1981年) (文春文庫)←Amazonで見てみる -
を読んだ。映画を一緒に観た夫は以前読んでいて、たまたま本が家にあった。

映画『劔岳 点の記』公式サイト

私自身も登山が趣味だが、たとえ一般ルートであれども劔岳に登れるレベルではない。しかし立山なら登っているので、劔岳や立山の地形や登山ルートについては頭に入っている。しかし原作を読んでいるとけっこう知らない地名が出てくるので、手持ちの登山地図(山と高原地図「剱・立山」昭文社発行)を広げて、柴崎測量隊の足跡を辿りながら読み進めた。すると映画(脚本)と原作との相違点や映画だけからではわからなかったことが見えてきたり、読みながら映画のシーンが浮かんできたりして、映画と原作を併せてのこの作品をより深く味わうことができた。

読了したあと『劔岳 点の記』の関連地図を作成したら面白いだろうと思いついた。明治40年4月から9月に柴崎測量隊が測量のために歩いたルートの一部でも地図に表わしてみようと思ったのだ。Google Maps のマイマップ作成サービスを使えば簡単に地図上にルートを引くことは可能だが、Google Maps は標高などの地形情報が乏しく、国土地理院が提供している電子国土Webシステム「簡単地図作成サイト」の場合は情報を盛り込みにくい。どちらを利用しても“帯に短し襷に長し”で、思い通りの地図が作れない。なのでとりあえず重要な場面をポイントした地図を、Yahoo! JAPAN Web APIで作成してみた。

※作成したYahoo! JAPAN Web APIでの地図は、別ファイルでアップロードしてあります。別タブ(or 別ウィンドウ)で開きます。
『劔岳 点の記』関連地図 地図表示ページ


立山信仰登山 芦峅寺と旧和田村
映画では立山信仰登山の本拠地である芦峅寺と、山案内人長次カの村「大山村和田」の位置関係がよくわからなかったが、地図で見るとよくわかる。

※青枠がある写真・地図画像は、クリックすると別ウィンドウで拡大表示します。

芦峅寺と旧大山村和田の地図
芦峅寺と旧大山村和田の地図
芦峅寺と旧大山村和田は近くにあるにもかかわらず常願寺川で隔てられ、当時は近くに橋が架かっていなかった。そのため大山村は芦峅寺のように立山信仰一辺倒ではない雰囲気があった。原作で柴崎が小見にある旧大山村役場へ村長に挨拶に行く場面では、村長が『近くの芦峅寺があのように栄えても、こっちは昔のままの貧乏村と相場が決まっています。村を根拠地として測量を始めることは、村の名誉です』と、測量隊を歓迎し協力を約束している。

「劔岳に登ってはならない」とする立山信仰との微妙な軋轢についても、原作は映画より詳しく書かれている。映画に登場する長次カの息子は原作には登場しないが、立山信仰を信じ劔岳挑戦を快く思わない村人に、長次カが腐った卵を投げつけられる場面がある。また重要な観光収入源である立山信仰登山を守るために、加賀藩が剱岳登頂に成功した人物を暗殺したのではないかという伝説についての話にも及んでいて、たいへん面白かった。


さて、劔岳登頂成功の前年明治39年9月に、柴崎芳太郎は下見のため現地に入る。富山駅に迎えに来ていた長次カと共に旧大山村に向かうが、もちろん富山地方電鉄は当時はまだ開業していないので、6里(24キロ)の道程を6時間で歩いた。翌朝弥陀ヶ原を通り室堂へ行く。映画では称名滝付近を徒渉する俯瞰の映像が美しかった。この下見の山歩きは映画では長次カとの2人だけのように設定されていたが、原作では(実際は)宮本金作、岩木鶴次郎も加えた4人で行っている。宇治長次カを演じる香川照之の、いかにも山慣れしているかのような、腰の重心が安定し足を後ろに蹴り上げない(足裏を見せない)歩き方が目を引いた。キャストのなかで香川照之の演技が光っていた。

ガスのなか別山に向かう稜線
ガスのなか別山に向かう稜線
映画の前半で柴崎は、のちに「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」という謎めいた言葉を残す行者(修験者)と出会う。修験者(夏八木勲)が劔岳に向かい一心に祈りを捧げている所に遭遇する場面である。なんでもこのシーンを撮影するため、別山の頂きで霧が晴れるまで4時間も待機したそうだ。実は私が2004年7月に別山に登ったときも霧が濃く、別山山頂から劔岳は拝めなかった。

原作での修験者との出会いの場は、本当は室堂にある「玉殿岩屋」である。吹雪になり慌てて下山する柴崎一行が、岩屋にいる行者を説得し行者を背負って下山するが、あの場面の岩屋(洞窟)だ。玉殿岩屋は立山に登山した際に見てきたのだが、あんなに広かったかな?と思った。

玉殿岩屋
玉殿岩屋
玉殿岩屋案内板
玉殿岩屋案内板


地図:玉殿岩屋


映画のリアルな事故シーン
映画は落石、雪崩、滑落などの事故シーンがリアルなので感心した。

地図:白ハゲ付近
地図:白ハゲ付近
雪崩に遭い生き埋めになりかかり危うく難を逃れるのは、原作では劔岳の北に延びる稜線上「白ハゲ」のピーク直下である。地形偵察のため測量隊は馬場島から白萩川に沿って登り、大窓の鞍部から白ハゲの急登を登攀している最中の出来事だった。彼らはその場では速やかに馬場島の基地まで撤退したが、しかし翌朝の明け方には出発して白ハゲの頂上で仕事(地形偵察)をし、再び基地に帰るのである。なんともスゴイことである。

濃いガスで自分たちの足跡を見失い、長次カの“勘”によってなんとかベースキャンプに戻れたものの、暴風雨でテントが飛ばされそうになりびしょ濡れで下山するシーン。

地図:五色ヶ原
地図:五色ヶ原
これは佐々成政の「さらさら越え」で有名な「ザラ峠」に前進基地を置いてから、越中沢岳の二等三角点(映画で役所広司が演じた古田盛作が明治35年に設置)へ地形偵察に出かけた帰路のことである。霧の、おまけに雪に覆われた五色ヶ原なら迷わない方が不思議。登山に縁がない人でも左の地図を見れば理解できると思う。

命からがら下山する先が「立山温泉」だ。調達した測量資材を集めたり大工仕事したり、里と山の現場との中継基地として映画のなかに何度も登場した立山温泉は、往時もその後も栄えたが昭和45年の立山黒部アルペンルートのバス道路開通後は廃れ、現在は「跡地」となっている。
※場所は作成したYahoo! JAPAN Web APIでの地図にマークしています。弥陀ヶ原・松尾峠の南、湯川谷にあります。

国土地理院の地図及びそれを基にした登山地図で、劔岳から馬場島に延びる「早月尾根」を見ると、その途中なか程に「1920.7」という標高ポイントの三角点記号がある。これが柴崎測量隊がこの地で初めて「測量旗」を立てた「記録1号」だそうである。こうして実際に現在も、彼らの「仕事」を地図で見ることができるわけで、「1920.7三角点」を自分の地図で発見したとき、映画や小説のなかのエピソードが身近でリアルなものに感じた。なお彼らは早月尾根を登って到達したのではなく、キワラ谷(現在の木綿谷?)を登り詰めている。

このあと彼らはいよいよ劔岳登頂に挑戦する。早月尾根を詰めてキレットに阻まれ、別山尾根(現在の一般ルート)からアタックして頂上直下の岸壁に挑む。生田信の転落事故が起きる。映画では命綱が切れてドキドキハラハラしたが、原作では『岩壁を2メートルほど滑り落ちた』となっている。

※長くなったので前編・後編に分けました。「『劔岳 点の記』映画と原作と地図と(2)」に続きます。


タグ:map 映画 登山

拍手してくださるとうれしいです→ 拍手する

このエントリーをはてなブックマークに追加
posted by Masako at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(1) | 映画・演劇・TV番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

国土地理院 緯度経度
Excerpt: 国土地理院刊行地図の地図索引図改訂版商品価格:2,100円レビュー平均:5.0国土地理院の移転後30周年記念展 - 常陽リビング ニュース国土地理院の移転後30周年記念展 - 茨城県県南地区のつくばエ..
Weblog: youtube動画★★新着ニュース
Tracked: 2009-07-03 17:21
最近のトラックバック

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。